「たつまさかい」と読みます。
2020年6月、とある超ピュアな一人の男によって立ち上げられた”魅力的でモテる人間になろう!”というメッセージと共に生まれたこのコミュニティこそ、竜真会でした。初めは参加者3人の小さなオンラインコミュニティでした。
人が成長していく姿を目の当たりにするに連れて、”人に良い影響を与える成長”と”人に迷惑をかけて悪影響を伝染させる成長”があることに気付きました。
そこから、竜真会というコミュニティは「持って生まれた能力を良い方向に活かそう」という理念の上に、個々が楽しみながら成果を出し、周囲を喜ばせる人を輩出してきました。
そもそも、何故このような無名なコミュニティが偉そうに「人として」なんて言葉を使うのでしょうか。
それは、日本では「教育」というものが古い形から変わらないまま来てしまっていると感じているからです。
今の日本の教育方針は、第二次世界大戦後に作られたものです。今から70年以上前のものです。
今では、SNSの発達を起点として、個人が挑戦できる幅が広がりました。
自由と多様性が認められてきた現代では、実績を出せる方程式が変わって来ました。
これまでは”挑む分野”が確定されており、そこに注力する行動量と知識量こそ全てでした。
しかし今は、自分でも気づいていない「無意識の才能」を使うことすら選択肢の一つです。
こんな風に思ったことはないですか?
”自分の人生に、超優秀で世界有数の先生が横についてくれてたら良いのになあ”
世の中で簡単に結果を出したり、あるいは異性にモテている人間だったり、人間関係をなにひとつブロックなくスマートにこなす人たちは、生まれてからそういう”超優秀な先生”みたいな人が身近にいるケースが非常に多いです。
「環境」という言葉になるのでしょうか。
才能が開花するための環境なんかは特に大切です。才能や個性は幼少期から学校の教育で決まっていくケースが多く、大人になったときには”もうこの人生を歩む”と埋め込まれたまま生活することになります。
おそらく9割以上の大人は、決まり切った人生に違和感を覚えながら生きていき、そして死んでいくでしょう。
ただ、一部の大人はそれに諦めることができず、現状への言葉にできないモヤモヤに苦しんでいます。
その正体が、先ほど書いた「SNSの発達によるチャンスの拡大」と「そこに挑むための教育が変化していない」ことのギャップです。
近年では、個人で生きていくためのスキルが目に見えて分かりやすくなっています。
動画編集、プログラミング、いずれも素晴らしいスキルであり、SNSの発達によるチャンスに乗っているように思えます。
しかし、そこに乗っているようではいつまでも『自分の人生の主役』にはなれないのです。
分かりますか?誰かの人生の担ぎをするために、フリーに見える雇われを続けている状態、それが近年の”エセ正攻法”だと考えています。
もうひとつ、今の世の中に必要なのは「拡大したチャンスに挑むための教育」です。
それは決して、スキル獲得の方法論を学ぶだけの”教科書”みたいなものではありません。
それでは同じことが起きるだけです。生まれつき環境が良かった人、センスが良かった人、天才だった人が、同じように主役になっていくだけです。
必要なのは、「人としての根本的な教育」です。
竜真会はここにフォーカスを当てて、4年間活動してきました。
「分野」×「熱量」×「行動量」
これが現代の成功方程式です。
分野と書いたのが、先ほどから言っているスキルの部分です。働き方や生き方になります。
分野の選択肢が相性0~100まで選べるのに、ほとんどの日本人は30で妥協して仕方なく動いています。ここを100に上げて、熱量と行動量も比例して上げることに”日本一”視点を置いて動いているのが竜真会です。
また、竜真会では『方程式の三要素』を最大化するためのエッセンスが膨大に得られます。
竜真会は、次世代で活躍するための教育方針について日々探究を重ねています。
ビジネス・恋愛・就職・起業・自己実現。
己の持って生まれた限界値を引き出し、
面白がって成果を出すことを軸にした
超近未来型の参加型コミュニティです。
2020年に初めて最初の募集をした〔竜真会〕は、
おかげさまで多数の方に利用いただいています。
4年間も続いたことで、一端の教育事業としても
誇りと責任を持って運用させていただいています。
そして、
「自分の才能を発掘して、今を正直に全力で生きる」
そんな環境へと成長を遂げました。